寒天の歴史
寒天発明のうら話
細寒天の歴史は江戸時代にまで遡ります。1650年代後半の京都伏見。旅館を営む美濃屋太郎左衛門(みのやたろうざえもん)のもとに、薩摩藩が参勤交代で訪れました。美濃屋はおもてなしに、ところてんが含んだ食事を提供しました。その食べ残しのところてんを屋外に置き忘れ、寒さの厳しい冬の京都にて凍結と乾燥を繰り返し、偶然にも干上がったところてんが出来上がりました。
そのところてんの干物に興味を持ち、煮溶かして冷やすと再び固まり、ところてんが出来上がりました。しかもそのところてんは海藻の匂いも無く、透き通った綺麗な色でした。これが珍味として評判になり知れ渡るようになりました。後に、美濃屋で食事をした隠元禅師(いんげんぜんじ)が「ところてん
の干物」を精進料理として食べ感動し、料理名が無かった事から寒晒心太(かんざらしところてん)から「寒天」と名付けたと言われております。
※ところてんの歴史は更に古く、1200年以上も前の奈良時代、遣隋使によって現在の中国から伝わった食べ物とされています。